2009年7月8日水曜日

最終回 「ミカ 神なき神信仰」  士師記17章1-13節

サムソンの後、イスラエルを取り巻く情勢はますます混迷を深めていきます。最後部分の17-21章において、カナンの民との戦いは登場していませんが、その代わりにイスラエルの内部抗争が激化していきます。しかもその不法と背信、略奪と大量虐殺、そして女性をモノのように扱う道徳的腐敗は目も当てられません。時に彼らは、それらを神の名によって、公然と行っているのです。今日登場しているミカは、士師でも預言者でもありませんが、特別に名前が記されています。なぜでしょうか?それは彼の行為が、この時代、イスラエルが陥っていた「神なき神信仰」をよく表しているからです。反面教師です。「神なき神信仰」それは一体一どのような「信仰」なのでしょうか?

まずそれは「形式的な礼拝」に見られます。彼らも真の神様(ヤーウェ)の名を告白していました。そして形だけは同じようにお祈りをささげ礼拝していました。しかしそこに「神の臨在」はなく、あるのは「一応」ヤーウェの名をもつ「彫像や鋳像」だけでした。やっていることはカナンの偶像崇拝そのものでした。イスラエルの民は、異教的なカナンの影響を受け、妥協を重ね、シンクレティズム(宗教混合主義)の罠にはまっていったのです。もはやそれは真のヤーウェ信仰とは似て非なるものでした。異教社会に住む私たちも気をつけなければなりません!

そのような礼拝に欠けているのは何でしょうか?それは「悔い改め」です。ミカはもともと母の銀千百枚を盗んだのです。「母の呪いの言葉」を聞いて、怖くなりそれを返しましたが、彼は果たして自分の罪の大きさ認識し、神の御前で悔い改めたのでしょうか?また母も息子かわいさの余り、返された銀ですぐに偶像を作りましたが、母ならまず子供を悔い改めへと導くべきではないでしょうか?そういった「基準」がなく、ただ「祝福」だけを求めるのが「ご利益宗教」なのです。

そのころのイスラエルは、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていました(6)。この言葉は、士師記の中で3度も繰り返され(17:6,18:1,21:25)、士師記はこの言葉で終わっています。つまりこれこそ、士師記に漂う混沌とした空気の原因なのです。「神なき神信仰」においても宗教的な熱心さはありました。しかし、その中心にあるのは「神様」でなく「自分」なのです。彼らは熱心に主の名を呼びながらも、神様を喜ばせることより、自分を喜ばせることに熱心だったのです。

しかもミカは祭司さえも、自分の祝福のために「雇い」ました。彼は言いました。「私のための祭司となってください。あなたに毎年、銀十枚と、衣服ひとそろいと、生活費をあげます(10)」。そしてレビ人がその提案を受け入れると「主が私をしあわせにしてくださることをいま知った。レビ人を私の祭司に得たから(13)」と喜ぶのです。霊的な祝福までも、お金で手に入れようとするミカはもちろんのこと、それを承諾したレビ人にも、神の奉仕に対する恐れのみじんも感じられません。

私たちは大丈夫でしょうか?私たちの人生の目的は、自分を喜ばすことでしょうか?それとも主を喜ばせることでしょうか?◆私たちは何を基準にして生きているでしょうか?自分の目に正しいことでしょうか?それとも聖書に啓示されている主の基準でしょうか?◆私たちが愛しているのは、自分の祝福でしょうか?それとも主ご自身でしょうか?主を恐れなさい。主こそ私たちの神です!

そのころ、イスラエルには王がなく、
めいめいが自分の目に
正しいと見えることを行っていた。
(士師17:6,18:1,21:25)

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、
これらのものはすべて与えられます。
(マタイ6章33節)

2009年6月13日土曜日

第14回「サムソンが最後に見たもの」 士師記16章21-31節

このサムソンの話は、その他の大士師の記録と比べて、ある点において決定的に異なっています。というのは、他の士師の話では、まず主から遠く離れたイスラエルの民が悔い改め、主に叫び求めることによって、士師が起こされるのですが、このサムソンの話では、ペリシテ人に征服されても、イスラエルの民が悔い改めたという記録もなければ、主に叫び求めた記録もないのです。しかし私たちは、今日の箇所においてその悔い改めのパターンを、サムソン個人の中に見ることができるのです。その悔い改めは、どのようにしてもたらされたのでしょうか?

人はどん底に落ち、痛い思いをしなければ、なかなか悔い改めることができません。例えば放蕩息子もそうでした。彼は財産を湯水のように使い果たし、食べるのにも困りはじめ、豚のえさで腹を満たしたいと思ったその瞬間、我に返りました。その時彼は心の中でこう言いました。「お父さん、私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました(ルカ15章)」。この時のサムソンの状況も似ています。彼は信仰深い両親にナジル人として育てられ、たくさんの霊的な資質を受け継ぎながら、その賜物を湯水のように使い果たし、この時は、足には青銅の足かせをはめられ、牢の中で重い臼を引く者にまで成り下がっていたのです(21)。

しかし少しずつ彼に変化が起こりました。髪の毛が再び伸び始めていたのです!前回の箇所で、私たちは「髪の毛とともに失ったもの」と題して学びましたが、彼が失ったものは何だったでしょうか?それは、言ってみれば、髪の毛一本でようやくつながっていた「神様との交わり」でした。彼はデリラにだまされ、自分自身もナジル人としての誓願を軽んじ、結果的に主ご自身を軽んじ、交わりを失ってしまったのです。しかし彼は、どん底に突き落とされることによって、再び「我に返り」、その失った「主との交わり」を、徐々に回復していったのでした(22)。

そして、その日がやってきました。どれくらいの時がたったのでしょう。彼らの偶像ダゴンの前で、盛大なお祭りがもよおされました。彼らはお祭りを盛り上げるために、牢につながれているサムソンを呼んで来て「見せもの」にしようと考えました。そしてサムソンをはずかしめ、優越感に浸り、更に陽気になったのです。その時サムソンは宮の大黒柱に手をかけ、こう祈りました。「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです(28)」。

その瞬間、彼に昔の力がよみがえり、大勝利を得たのです。その瞬間、サムソンは天を仰ぎ「神を見た」のではないでしょうか。もちろん彼の肉の目は失われたままでしたが、彼が「神、主よ…」と祈ったとき、彼の霊の目が開け、天からの不思議な力が彼に与えられたのだと思うのです。その祈りは、あの盲人バルテマイの叫びのように、非常にシンプルで素朴な祈りでしたが(マコ10:47)、その結果バルテマイの目が開けたように、最後にサムソンの霊の目も完全に開けたのです。

先日盲目のピアニストが世界的コンクールで金賞に輝きました。ある時、彼はこう言ったそうです。「一度だけ目が開くなら、お母さんの顔が見たい」と。◆どうでしょうか、私たちの心の目は開いているでしょうか?私たちは、その心の目で何を見たいと切に願っているでしょうか?◆誰でも、まず心の中の汚れた目(罪の芽)をえぐりださなければ、主を見ることはできません。しかし悔い改めて、その目をえぐり出し、「神、主よ、私を憐れんで下さい」と祈る者は、心の目で主を見るのです。そして主を見る者は、自分に死んで、いのちを得るのです。

もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、
えぐり出して、捨ててしまいなさい。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。
マタイ5章29、8節(要約)

2009年6月3日水曜日

第13回「髪の毛と共に失ったもの」士師記16章1-22節

信心深い両親のもとにナジル人として育てられたサムソン。しかし前回の所では、少しずつ神様から離れていくサムソンの様子を見ました。それは彼自身の弱さの故ではありましたが、同時に、最愛の人からの裏切りや、奴隷根性に堕した同胞に対する失望の故でもありました。彼の心は、そのような感情が複雑に入り組んで、カラカラに渇いていました(15:18)。そんな時、彼は、まるで鮭が生まれ育った川に帰ってくるように、再び神様との交わりに帰ってくるのでした(15:19)。

今日の箇所は、遊女の所に入るサムソンの姿から始まっています。その直前の15章20節には「(サムソンは)20年間イスラエルをさばいた」とありますから、おそらくイスラエルの士師(さばき司)としての仕事を立派に果たしていたのでしょう。しかし彼は相変わらず「恋多き荒(あら)くれ者」であり、ペリシテ人の遊女のもとに通うのでした。ペリシテ人たちは町の門で一晩中待ち伏せしたのですが、彼らをあざ笑うかのように、サムソンは「2本の門柱をかついで(62キロ離れた)ヘブロンの頂に運び(3)」ました。その怪力は尋常ではありませんでした。

そこでペリシテ人は、その尋常ではない怪力の秘密を知りたがりました。きっと、まともに立ち向かっても勝てないと悟ったのでしょう。そこで彼らはティムナの件で成功したように(15:16)、サムソンが好意を寄せる女性を利用することにしました。彼女の名前はデリラ、訳せば「思わせぶりをする」。彼女はしきりに彼の怪力の秘密を問いただしました。3回まで、彼は上手に交わすことができていましたが、4回目にデリラが泣きながら「あなたは私を愛していない」とすがると、彼の心もついに折れてしまいました。「サムソンは死ぬほどつらかった(15)」との言葉が印象的です。怪力サムソンも、女性の涙にはなすすべもなかったのです。

それにしても、なぜ男性は「女性の涙」に弱いのでしょう?「本当にこの人と結婚してもいいの?」の著者であるマレ牧師は「男性には生まれながらのヒーロー願望がある。女性の涙はそのヒーロー本能にスイッチを入れる」と説明します。しかし時にはそれがプラスに作用せず、へそを曲げてしまったり、妻以外の女性の涙にも反応し、その女性を自分が守ってあげなければと勘違いしてしまったりすることもあるのだとか。サムソンはそういったマッチョ本能が人一倍強かったのかもしれません。彼に限らず全ての男性は、自分の花嫁とキリストの花嫁である教会を守るという「聖い目的」のために、その本能を用いたいものです。また女性も、デリラのようにではなく、「聖い真心」から、美しい涙を流したいものです。

そして彼は、髪の毛をそり落とされ、力を失ってしまいました(19)。ここで私たちは、サムソンの髪の毛自体に不思議な力が宿っていたかのように勘違いすべきではありません。彼は髪の毛を失ってしまったからではなく、異国の女との淫行にふけり、ナジル人の尊厳(自尊心)を失い「神様との交わりを失ってしまったから」力を失ってしまったのです(新聖書注解)。髪の毛はあくまで「神様との交わり」の象徴にすぎません。裏を返せば、その髪の毛が「また伸び始めた(22)」とは…、それはまた次回の話。今回は「主が既に自分から去ってしまったのに、以前と同じように、ひとゆすりしようとした」彼の姿に重大な警告が含まれています。

私たちは「生きた主との交わり」を持っているでしょうか?サムソンがカラカラに渇いて主に呼び求めたように、私たちも主に渇き、主を呼び求めているでしょうか?◆その交わりなくして、形だけ昔と同じようにしても、もうそこに「いのち(力)」はないのです。私たちの力は、生きた主との交わりから来るのです!

わたしはぶどうの木で、
あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、
わたしもその人の中にとどまっているなら、
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは
何もすることができないからです。
(ヨハネ15章5節)

2009年5月27日水曜日

第12回「サムソンの渇き」 士師記14章、15章

何度も言うように、士師記は不可解な書物です。士師は神の選びの器なのですが、一人一人を見れば決して模範的な信仰者ではなく、むしろ欠けだらけで普通の(いや普通以下の)人間だからです。中でもサムソンの人間くささは群を抜いています。しかしそれゆえに、彼は歴史を超えて多くの人に愛されているのです。

今日の箇所でサムソンは恋をします。彼は獅子をも引き裂く怪力の持ち主でしたが、同時に激しいまでのロマンチストであったようです。今日の箇所で、彼はペリシテの娘に見て、恋をし、まだよく知らないのにもかかわらず「あの女を私の妻に」と願い出るのです(14:2)。まさしく一目惚れです。ですが彼の両親は反対しました。なぜなら当時、異邦人との結婚は禁じられていたからです(出34:16)。しかし彼は「あの女が私の気に入った」と強引に押し切ってしまうのです(14:3)。

その背後には主の隠されたご計画がありました(14:4)。ロマンスといえば聞こえはいいのですが、これはサムソンの「わがまま」と「激しい情欲」から出たことです。また両親が危惧したように、これは明らかな律法違反です。しかし神様はそういった人々の弱さを用いても、ご自身のご計画を先に進めることのできるお方なのです。かつてヨセフは「あなたがたは私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさいました(創50:20)」と言いました。でもだからといって私たちは「それならば悪を行おう」と言ってはいけないのです(ロマ3:8)。

神様のご計画とは何だったのでしょうか?それは「ペリシテ人の手からイスラエルを救うこと」です。もちろん神様は正義と信仰によっても、イスラエルを救うことはできました。しかしこの時のイスラエルの人々は、まるで「パレスチナ人に支配されていることを当然のように感じ」「奴隷根性に陥っていた」のです(15:11)。聖書には「この人たちが黙れば、石が叫ぶ(ルカ19:40)」とありますが、イスラエルが立ち上がろうとしないから、主は欠けだらけの人間(サムソンなど士師たち)を用いられ、また人々の悪意や裏切りを通したりして、ご計画を実行に移されたのです。その方法までもが主の御心であったのではありません。

サムソンは結婚したばかりの妻に裏切られました。もちろん妻にも言い分があり、ペリシテ人仲間に「さもないと、あなたの父の家を焼き払う」と脅されたからだと言うでしょう。とにかく彼女は「あなたは私を愛してくださいません(14:16)」と夫に泣きすがりだましたのです。皮肉なことに、結局、彼女も彼女の父も、その仲間の手によって火に焼かれてしまいます(15:6)。いろいろな罪がありますが、神様は特に、愛を利用した卑劣な行為を忌み嫌われます。もしこの時、この女がすべての事情を正直に夫に話していたら事態は違っていたのかもしれません。

一連の報復行為を終えた時、サムソンは「ひどい渇きを覚え」ました。彼は何に渇いたのでしょう。イエス様は「わたしは渇く(ヨハ19:28)」とおっしゃられましたが、それは罪を背負い、父なる神と断絶された「霊的な渇き」でした。もしかしたらサムソンも、ナジル人でありながら報復に手を染め、徐々に神様から離れていく「霊的な渇き」を感じたのかもしれません。また彼は、あれほど激しく愛した人に裏切られ、同胞には見捨てられ、人からの愛に渇いていたのかもしれません。彼は主を呼び求め(15:18)まるで震える小犬のように安らぎを得るのでした。

完全な人はいません。強く見える人が本当は弱かったり、激しく怒っている人が本当は深い孤独を感じていたり、人の心は複雑で、時には自分でも、自分の心が分からなくなってしまうほどです。とにかく「渇いたら」すぐ主に叫び求めることです。主はあなたの渇きを癒すことがお出来になる、ただ一人のお方なのです。

主は、主を呼び求める
すべての人に対して
恵み深くあられるからです。

「主の御名を呼び求める者は
誰でも救われる」のです。
(ロマ10:12-13要約)

2009年5月15日金曜日

第11回「サムソンの両親」士師記13章1-25節

さて、私たちはいよいよ、士師記最後の大士師サムソンについて学びたいと思います。サムソンといえば、その怪力とともに、時折見せる、ひどい悪ふざけと、性的な放縦さによって有名な人物です。人は、彼のような人を見ると「親の顔も見てみたい」というかもしれませんが、今日は、そのサムソンの両親の話です。

まずは、サムソンの母親です。彼女については、聖書の中に、名前も記されていません。ただ「不妊の女」とだけ紹介されています。聖書の時代、出産は女性にとって「特別な祝福のしるし」とされていましたから、彼女は長年、非常に肩身の狭い思いをしてきたことでしょう。その彼女のもとに、主の使いが現れて「あなたは身ごもり、男の子を生む」と告げたのでした。それを聞いて、彼女はとても驚いたことでしょう。いやそれを通り越して「恐ろしかった(6)」ことでしょう。

主の使いは、生まれてくる子供が「ナジル人」であると言いました。ナジル人とは、民数記6章にその詳細が記されていますが、一定期間、もしくは生涯、主への誓願を立てている人の事でした。その名前は「聖別する(ナーザル)」から来ています。またナジル人には、①酒を飲まない、②汚れたものを食べない、③頭にかみそりを当てないなどの、禁令を厳守することも求められました。しかも、今日の箇所によれば、その父母も、①と②を守るように求められているのです(4,14)。

なぜでしょうか?それはお腹の子供が、生まれながらのナジル人(聖別された者)だからです。聖なる命を内に宿す者として、その母親はもちろん、その父親も、出産までの間、聖く過ごすことが求められたのです。私たちも同じです。私たちのお腹の中にナジル人はいませんが、聖なる御霊が宿っておられます。私たちは「聖霊の宮」なのです(Ⅰコリ6:19)。ならば私たちも普段から聖さに気を配り、罪を離れ、聖霊の宮であることを意識して過ごすべきではないでしょうか?

その夫の名はマノア(休息・平安)と言いました。彼は、実に立派な信仰の持ち主でした。彼は最初、妻から不思議な知らせを聞いたときにも、疑うことを一切せず、むしろ「その子を、どのように育てたらよいか」ということを心配しました(8,12)。また彼は、すべての感謝を、主への全焼のいけにえという形でささげることも忘れませんでした(19)。またこれは想像ですが、マノアが最初から妻の言うことを素直に信じることができたのは、普段から、妻に対する深い信頼と尊敬があったからではないでしょうか。主はこの夫婦を選び「不思議」を行われました(18)。

このサムソンの両親の姿勢に、私たちも見習いたいものです。彼らは自分の子を、自分勝手な悟りによって育てるのではなく「主からの賜物として」「どうやって育てたらよいのですか」と真剣に尋ね求め、信仰と恐れ(畏れ)をもって育てました。またマノアの妻は、出過ぎず、非常に控えめではありましたが、実は夫よりも深い霊的な洞察をもっていました。夫は、最後の方まで、主の使いに気づいてはいませんでしたが(16)妻は最初から気付いていました(3)。また夫が「神を見たので必ず死ぬ(22)」と取り乱す時にも、妻はその背後にある「深い神様の憐れみ」を読み取り、賢く落ち着いて、夫の支えになることができました(23)。

私たちはどうでしょうか?自分勝手な悟りや基準で、子供を育ててはいないでしょうか?自分勝手な願いを押し付けていないでしょうか?◆大切なのは、まず主に尋ね求めることです。そして子供の前に、まず自分自身が主の前に聖く歩むことです。そして最後に、夫婦が愛し合い、尊敬しあっていることです。◆主はそういった家庭を祝し、そういった家庭を通して、不思議を行ってくださるのです。

父たちよ(もちろん母も)。
あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。
かえって、主の教育と訓戒によって
育てなさい。(エペソ6章4節)

2009年4月24日金曜日

第10回 「後出しジャンケン」 士師記12章1-7節

前回私たちは「ならず者の頭」から「ギルアデの首領」にまで上り詰めたエフタについて学びました。彼の性格は、喧嘩っ早く、取引上手で、頭に血が上ると大きな(軽率な)言動に出てしまう、そんなところがありました。しかし彼は、その軽率さによって大きな代償を払うことになりました。ひとり娘を失い、心に深い傷を負うのでした。その傷口は、きっとまだズキズキ痛んでいたことでしょう。

その傷口に、塩をすり込むような出来事が起きました。突然エフライムが、兵を引き連れてエフタの目の前に現れ、こう言うのでした。「なぜ、あなたは、あなたとともに行くように私たちに呼びかけずに、進んで行ってアモン人と戦ったのか。私たちはあなたの家をあなたもろとも火で焼き払う(1)」と。それは事実無根の「言いがかり」でした。それまでもギルアデは、アモン人に攻め込まれた時、エフライムに援軍を頼んできたのに、彼らは助けてくれなかったのです(2-3)。

以前にも似たようなことがありました。ギデオンがミデヤン人に対し勝利をほぼ手中に収めた時、突然エフライムが遅れて参戦して来て「あなたは、私たちに何ということをしたのですか。ミデヤン人と戦いに行ったとき、私たちに呼びかけなかったとは(8:1)」と言ったのです。そこに見え隠れするのは「汗(血)を流さずとも分け前にあずかろうとする」大部族のおごりです。もしかしたらエフライムは、ギデオンの件で味をしめ、エフタ(ギルアデ)に対しても脅しをかけ、何かを引き出そうとしたのかもしれません。しかしそうは上手くいきませんでした。

エフタはギデオンと違い、徹底抗戦に打って出たのです。ギデオンは「私たちは、あなたがた(エフライム)に比べたら、とるに足らない者です(2-3)」という謙遜さによってエフライムの怒りを和らげました。しかし娘を失った悲しみで心が満ちていたエフタは、理不尽な要求をするエフライムに、おべっかを使うこともなく怒りの炎を燃やしました。しかもエフライムがギルアデのことを「金魚のフンの臆病者」呼ばわりをしたことが(4)怒りの炎に大量の油を注いでしまいました。

確かにエフライムのやったことは、人の道に反します。彼らの方こそ臆病者です。しかし聖書にはこうあります。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる(箴言16:25,32)」と。人は自分の方が正しいと思うから怒るのです。しかしその怒り(正義)を突き詰めていくと、破滅に至るのです。ギデオンが全部正しかったとは思いません。彼もペヌエルとスコテという同胞を虐殺しました(8:4-17)。しかしエフライムへの対処においては、ギデオンの方がエフタよりも、一枚も二枚も上手であったことは、認めざるをえません。

人の怒りは神の義を実現するものではありません。エフタのやり方が、また何とも残忍でした。彼は「シボレテ(川の流れ)」と言わせ、相手になまりがあれば一人一人殺していったのです。恐怖に満ちた魔女狩りです。その結果4万2千人のエフライム人が殺されました(7)。「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは何という幸せ、何という楽しさであろう(詩133:1)」。この理想はどこへ行ってしまったのでしょうが。時には「人の正義」が、人と国を不幸にするのです。

私たちはどうでしょうか?卑劣なことをされたり、言われたりしたら、当然自分には怒る権利があると思うでしょう。しかし、その終わりは「死の道」であることを私たちは覚えておかなければなりません。◇両方とも傷つくのです。いや、周りのみんなを巻き込んで共同体を破壊します。本当の勇気とは何でしょうか?

だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、
怒るにはおそいようにしなさい。
人の怒りは、
神の義を実現するものではありません。
(ヤコブ1章19ー20節)

2009年4月21日火曜日

第9回「軽率な誓願」 士師記11章1-40節

ギデオンの後イスラエルは再び主に背いてしまいました。彼らは主を捨ててカナンの神々に仕えたのです。そこで主はアモン人を興され、イスラエルを苦境に追い込まれました(10:9)。するとようやく彼らは悔い改め主に叫んだのです。そんな彼らを見て「忍びなく思われた(10:16)」主は、一人の人物を起こされました。

その名はエフタでした。彼はギルアデの生まれで、遊女の子でした。成長した彼は異母兄弟たちに嫌われ、家から追い出されてしまいました。行き場を失った彼は、小都市国家トブに流れ着き、いつの間にか彼の周りには「ごろつきたち」が集まるようになりました(3)。そんな彼らは砂漠や荒野を旅する商隊を襲って、次第に有名になっていったと考えられています。つまりエフタとは、今日でいうところの「札付きのワル」「ギャングスター」「ならずもののかしら」であったのです。

そんな彼の所に思わぬ話が舞い込んできました。アモン人がまたイスラエルに戦争をしかけてきたのです。危機感を募らせたギルアデの長老たちは、苦肉の策としてエフタに首領になってくれるよう頼みに来ました。でもエフタは直ぐには引き受けませんでした。当然です!かつて彼らはエフタに何をしたのでしょうか?利用するだけ利用して、捨てられることはないでしょうか?そこでエフタは主の前に契約を結ぶことを条件として、その任を引き受けることにしたのです(9-11)。

双方の外交努力(12-28)もむなしく戦争が始まりました。出陣の際、エフタは主に一つの誓願を立てます。その内容は「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、 私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます(30-31)」というものでした。しかし人間を全焼のいけにえとして捧げるという残虐な行為は、忌まわしきカナンの習慣であり、律法では「真似てはならない」と堅く禁じられています(詩106:38、申12:29-31)。

エフタの軽はずみな誓願は、思わぬ悲劇を彼自身にもたらすことになりました。なんと、アモン人との戦いに勝利して帰ってくると、彼を出迎えたのは、まだ若い彼の一人娘だったのです…。しかもタンバリンを手にとって、喜び踊りながらお父さんを迎える彼女の姿が、より一層その悲劇を増し加えています。エフタはその娘の姿を見て、胸の痛みを抑えきれず、思わず自分の着物を引き裂きました。この悲劇は、その後も長くイスラエルでも長く語り継がれることになりました(40)。

この聖書の箇所は本当に難解です。ヘブル人への手紙では「エフタについても話すならば時が足りないでしょう。彼は信仰によって国々を征服し、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました(11:32-34要約)」と、エフタの信仰が評価されています。しかしもし評価するならば「お父さま。お口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アモン人に復讐なさったのですから(36)」と告白した娘の信仰こそ評価されるべきではないでしょうか?

仮に、最後まで主に従い、誓願を果たしたエフタの信仰が立派だったとします。しかしもっと立派なのは、そのような誓願を立てず、ただ無条件に主に従うことなのです。◇私たちも「主よ、もし助けてくれたら○○します」なんて軽率な誓願(神様との取り引き)をしないよう気をつけなければなりません。そのような条件を付けず、ただ「はい」は「はい」と、素直に主に従うことが大切なのです。

あなたがたは
『偽りの誓いを立ててはならない。
誓ったことを主に果たせ』
と言われていたのを聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。
決して誓ってはいけません。
『はい』は『はい』、
『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。
それ以上のことは悪いことです。
(マタイ5:33-37要約)