2009年2月12日木曜日

第4回「二人の女性と鉄の杭」4章1~24節

今日の箇所は、ある意味において非常に興味深いと思います。というのは二人の女性が用いられ、イスラエルの勝利に貢献しているからです。当時の社会と言えば、徹底的な男性優位(男尊女卑)な社会でした。その中にあって、主が、彼女たちを用いられたことには、どんなメッセージが込められているのでしょうか?

まずデボラはどんな人物だったのでしょうか?彼女は「女預言者」でしたが、いつも、なつめやしの木の下に座りイスラエルの民をさばいていました。それが何とも神秘的な雰囲気をかもし出していますが(5)、当の彼女自身は、何か特別な人物であったわけではありません。彼女は「ラピドテの妻(4)」と紹介されていますが、ごく普通の、妻としての役割もちゃんと果たしていたと考えられています。

イスラエルの将バラクは、そんな彼女に助けを求めました。軍隊と言えば、男社会の中でも、特に上下関係の厳しいところです。バラクはそのトップにいたのですが、その彼が、女預言者デボラに「もしあなたが私と一緒に行って下さらないなら、行きません(8)」と懇願したのです。もちろんそれは、鉄の戦車900両を有する敵が(3)それほど強大だったということでもありますが、自分の無力を認め、素直にデボラに助けを求めた彼の姿は、謙遜という意味において立派でした。

私たちもみな、本来そうでなければいけないのです。多くの場合私たちは、試練に遭遇すると、あれこれ自分の知恵と力で対処し、どうにもこうにもいかなくなってから「仕方がなく」主により頼むのです。しかし私たちはバラクのように、最初から自分の無力を認め「ともにいて下さる主と(マタイ28:20)」ともに困難に立ち向かうことが大切なのです。その時主ご自身が勝利を取ってくださいます(15)。逆にいえば、この主がともにおられるならば、何も恐れることはないのです!

もう一人の女性はケニ人「へベルの妻ヤエル」でした。ある日突然、敵将シセラが、命からがら逃げ込んできました。そしてヤエルに「一杯の水」を求めたのです(19)。彼女は丁寧に応対し、毛布をかけ、乳を与えました。すると彼は安心し、熟睡してしまいました。その時、ヤエルは鉄の杭をもってシセラの「こめかみ」に打ち込み、一撃にして暗殺してしまいました(21)。彼女の夫「ケニ人へベル」は、モーセの義兄弟の子孫であることから、おそらくヤエルも、何らかのかたちで真の神信仰をもっていたと推測されます(11)。今日の箇所で主は、二人の女性を通して勝利されることにより、ご自身の栄光を明らかにしてくださいました(9)。

このような不意打ちがいつも賞賛されているのではありません。ここで学ばなければいけないのは、むしろ敵将シセラのようにならないように、ということでしょう。彼は「一杯の乳」を飲み、油断し、熟睡してしまいました。もし私たちが、試練の中で不安を覚え、疲れ果て、霊的な渇きを覚えるならば、その時にこそ、私たちは、主に「生ける水」を求め、飲み、目を覚ましていなければならないのです。そうしないと、私たちはいとも簡単に、敵(サタン)に隙を突かれてしまいます。

私たちの主は、勝利の主です。この方はやがて来られ、サタンのかしらを完全に打ち砕かれます(創世3:15、ロマ16:20、黙示12:17)。◆しかもそれだけではなく、イエス様はもう既に十字架によって、サタンのこめかみを打ち抜いてくださったのです。◆もし私たちが、この方を信頼し、この主とともに立ち向かうならば、私たちはどんな試練の中においても、圧倒的な勝利者とされるのです!

私は見る。しかし今ではない。
私は見つめる。しかし間近ではない。
ヤコブから一つの星が上り、
イスラエルから一本の杖が起こり、
モアブのこめかみと、
すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。
民数記24章17節

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