2009年3月28日土曜日

第8回「偶像礼拝、堕落の入口」8章22~35節

ギデオンはまたの名を「エルバアル」と言いました。それは彼が、父の家のバアル祭壇を壊し、アシェラ像を切り倒したからです(6:25-32)。彼はそのように、偶像と決別することによって士師の人生をスタートさせました。それからの活躍は、今まで学んできた通りです。しかし彼は晩年、再び偶像礼拝の罪へと逆戻りしてしまうのです。いったい彼の身に、そして心に、何が起きたのでしょうか?

彼は最初、自分の「欲」を抑えることができていました。ミデヤンとの戦いの後、興奮した民はギデオンに「私たちを治める王になって欲しい」と願いました。きっと、厳しい現実の中で、力強いリーダー(王)にすがって生きたいと願ったのでしょう。しかしギデオンは「主(ご自身)があなた方を治められます」と断わりました。それは正しい判断でした。なぜならイスラエルという「選びの民」は、地上の権力に支配される民ではなく、主と主の言葉によって治められる民だからです。

しかしギデオンは、その後ちょっとした心の隙をつかれてしまいました。彼はこう言いました。「ひとりひとり、自分の分捕り物の耳輪(金)を私に下さい(24)」と。そして、その金でエポデを作ったのです。エポデは本来、祭司が祭儀において着用するための聖なる装束でした。しかしギデオンとイスラエルは、それをまるで偶像のように扱い、その前で淫行を行ったのです。思い起こしてみれば、元々ギデオンは「目に見えない神」を信じられず「しるし」を求める人でした(6章)。

これは、アロンの過ちと非常によく似ています(出エジ32章)。アロンは民に言いました。「あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪をはずして、私のところに持って来なさい」と。そしてアロンはそれで金の子牛を造り、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言ったのです。そして民は、その子牛の前で、飲み食いし、(不道徳に)戯れました…。つまり偶像礼拝とは、単に他の神々を拝むことだけではなく、真の神(ヤーウェ)を自分の都合の良い形にし、てっとり早く礼拝することも含んでいるのです!

霊的な姦淫は、肉的な姦淫への入り口でもあります。ローマ人への手紙にはこうあります。「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ、彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました(1:21-24)」と。ギデオンの堕落も、「金銭を愛すること」から始まり、「霊的な姦淫」、そして「肉体な姦淫」へと、エスカレートして行ったのです。

そのギデオンには大勢の妻がいました(30)。これは「ふたりは一体となる(創2:24)」といわれた、本来の結婚のかたちとは大きくかけ離れていました。その妻により彼には70人もの子供がいましたが、その子供がこの後、問題となります(9:5)。最初は気が小さく、主の励ましによって一歩を踏み出した「士師」ギデオン。しかし彼は、いつの間にか、大きく信仰の道を踏み外してしまいました。

あなたは大丈夫ですか?いつの間にか、偶像礼拝に陥っていませんか?金銭を愛すること、それがすなわち偶像礼拝の始まりです。なぜなら、その「むさぼり」こそが「偶像礼拝の正体」だからです(コロ3:5)。◆またあなたは、真の神への恐れを失い、自分の都合のよい、てっとり早い礼拝で満足していませんか?それもまた立派な「偶像礼拝」なのです!堕落の入口は、身近な所にあるのです!

金銭を愛することが、
あらゆる悪の根だからです。
ある人たちは、
金を追い求めたために、
信仰から迷い出て、
非常な苦痛をもって
自分を刺し通しました。
Ⅰテモテ6章10節

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