2009年3月23日月曜日

第7回「怒りのコントロール」8章1~21節

さて、いつもここから始まりますが、元々ギデオンは「マナセの内では最も弱く、父の家でも一番若い者(6:15)」でした。しかしその彼が主に選ばれ、主のしるしをいただき、立ち上がったのです。そして前回は、わずか300人を率いて、13万5千人のミデヤン人を追い詰めました。彼は、その後どうなっていくのでしょうか。

勝利をほぼ手中に収めた時、内部からの批判が巻き起こりました。まずはイスラエル民族の中で、最も強いエフライム族からの嫉妬でした。彼らは言いました「なぜ私たちに呼びかけなかったのか(1)」と。自分たちより弱い、マナセ、アシェル、ゼブルン、ナフタリの連合軍に(6:35)戦利品を独占されてしまうでも思ったのでしょうか。またガド族の中に住んでいたスコテとペヌエルの人々も、ギデオンの軍団がパンを求めた時、それを冷淡に断わりました(8:6)。彼らは一緒に戦わないばかりか、傍観者を決め込み、疲れきった軍団を見てさげすんだのです。

その時ギデオンの怒りの炎が激しく燃え上がりました。彼はスコテの人々に「荒野のイバラやとげで踏みつけてやる」と、またペヌエルの人々に「私が無事に帰ってきたら、このやぐらをたたき壊してやる」と呪いました。そして、それを実行しました。すなわちギデオンは、イバラやとげでスコテの人々を拷問し、ペヌエルの人々を虐殺したのです(16-17)。その頃の彼に以前の面影はなく、人を殺すことにも慣れ、躊躇する長男エテルの前で二人の王にとどめを刺すほどでした(21)。

しかしそれは明らかに、ギデオンの越権行為でした。神様は、あくまで「イスラエルをミデヤン人の手から救え。(そのために)私があなたを遣わすのではないか(6:14)」と命じられたのです。スコテとペヌエルの人々は、はっきりとは記されていませんが、おそらくガド族のイスラエル人であると言われています。とすると、彼は自分の思い通りにならないからと、同胞のユダヤ人をこのように扱ってしまったのです。神様はそんなことを、一言も許してはいません!

権力と力をもつと人は変わります。自分の使命達成のためなら、多少(!?)人々が痛み苦しんでも、それが気にならなくなるのです。そればかりは、自分に逆らう者や、邪魔をする者、特に自分を侮辱にする者には「血の復讐」をしても「やむなし」と考えるようになってしまうのです。何と恐ろしいことでしょうか!私たちは、どんなに小さな権力や地位であっても、それが与えられたら「人一倍謙遜であるように」気をつける必要があります。それができないと、主に用いられた人であっても、ギデオンのように、人生の坂を転げ落ちて行くことになります…。

ダビデも同じ誘惑を感じました。彼は自分をさげすんだナバルに、剣で復讐をしてもやむなしと考えましたが、その時はナバルの妻アビガイルの賢いとりなしもあり理性を取り戻すことができました(Ⅰサム25章)。ですがその後、自分の欲望のためにバテ・シェバと関係をもち、夫ウリヤを間接的に殺してしまいました(Ⅱサム11章)。そのような失敗を通して彼は「権力の恐ろしさ」と「自分の罪深さ」を思い知ったのです。その後の彼は驚くほど柔和な者とされました(Ⅱサム16章)。

今のあなたに大きな権力はないかもしれません。しかし心は「王様」のようになっていないでしょうか?◆あなたは自分の事ばかりを考え、周りの人々の「痛み」や「苦しみ」に鈍感になっていませんか?人(家族・友人)を自分の思い通りに動かそうとしていませんか?また人の悪(侮辱)に対しては復讐してもよいと勝手に考えてはいませんか?◆そんな自分を発見するのなら、あなたは非常に危険なところにいます!私たちに復讐する権利はないことを、忘れてはいけません。

愛する人たち。
自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。
それは、こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。
わたしが報いをする、と主は言われる。」
ローマ12章19節

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